$ \newcommand{\exi}{\exists\,} \newcommand{\all}{\forall} \newcommand{\equ}{\!=\!} \newcommand{\nequ}{\!\neq\!} \newcommand{\amp}{\;\&\;} \renewcommand{\Set}[2]{\left\{\;#1\mathrel{}\middle|\mathrel{}#2\;\right\}} \newcommand{\parenth}[1]{\left(\;#1\;\right)} \newcommand{\braces}[1]{\left\{\;#1\;\right\}} \newcommand{\bracket}[1]{\left[\;#1\;\right]} \newcommand{\godel}[1]{\left\ulcorner #1 \right\urcorner} $

安井邦夫、「現代論理学」、現代思想社 の分からない所メモ 第2弾

p188の$\fbox{15}$が分からない!

$\fbox{15}$ S(x,t,u):「(x)$_0$は、表現(x)$_1$において、変項uの自由な表れすべてに項tを代入するとき、そこに得られる表現である。」
S(x,t,u)は次の関係で定義される。

\begin{array}{ll} {VE(u) \amp TM(t) \amp} \{ \\ \quad [(x)_1 \equ u \amp (x)_0 \equ t ] \quad \lor & (1) \\ \quad [(\exi y)_{ y \lt (x)_1}((x)_1 \neq u \amp (x)_1 \equ 2^y \amp (x)_0 \equ (x)_1)] \quad \lor & (2) \\ \quad (\exi z)_{z \lt (x)_1} (\exi y)_{y \lt (x)_1} [ FM(y) \amp (x)_1 \equ 2^{13} * u * y * z \amp & (3.1) \\ \quad \quad (\exi r)_{r \lt (x)_0} ( (x)_0 \equ 2^{13} * u * y * r \amp S(2^r 3^z, t, u) ) \quad \lor & (3.2) \\ \quad [ \neg (\exi z)_{z \lt (x)_1} (\exi y)_{y \lt (x)_1} ( FM(y) \amp (x)_1 \equ 2^{13} * u * y * z ) \amp & (4.1) \\ \quad \quad (\exi p)_{p \lt (x)_0} (\exi r)_{r \lt (x)_0} (\exi y)_{y \lt (x)_1} ( 1 \lt y \amp (x)_1 \equ 2^{((x)_1)_0} * y \amp & (4.2) \\ \quad \quad (x)_0 \equ p * r \amp S(2^p 3^{2^{((x)_1)_0}}, t, u) \amp S(2^r 3^y, t, u) ) ] & (4.3) \\ \} \end{array}

※本来はテキストの表記に従うならば、これらの記号はゴシック体で書かなければならないが、$\TeX$の記述上イタリック体のままにしています。

この数論的関係が求めるべき関係になっていることの理解が難しい…。
(x)$_1$が操作を施す前の表現、(x)$_0$が操作を施した後の表現であり、従って両者$p_0^{\alpha(b_1)}p_1^{\alpha(b_2)} \cdots p_{m-1}^{\alpha(b_m)}$という形が想定されていることは分かる。
表現(x)$_{1}$を左から右へ向かって走査し、$\all u$(論理式) となっているところはスルーしつつ、そうなっていない自由変項uをtに逐次書き換えて行っているのであろう事は分かる。

以下のように考えてみたのだが、これでいいのだろうか: \begin{array}{cl} (3.1) & \underline{今現在走査中たる}表現(x)_1が、\quad \all u \; 論理式y \; 表現z \quad となっていて、\\ & (この時は、y内の変項uは束縛変項だから置換の必要は無いのでスルー) \\ (3.2) & その表現z部分の自由変項uを項tで書き換えて得られた表現がrで、\\ & それを連接した \quad \all u \; 論理式y \; 表現r \quad が現時点での求める表現(x)_0 \\ (4.1) & 表現(x)_1が、\quad \all u \; 論理式y \; 表現z \quad とはなっておらず \\ & (\all v \; \cdots \quad でも \quad ~P \quad でも \quad P \supset Q \quad でもOK) \\ (4.2) & (x)_1を、\quad (x)_1の第1文字目 \; 表現y \quad と分解して見ると、\\ & ((4.1)~(4.3)は帰納的走査の部分であるから、(x)_1の2文字目以降の表現が存在していなければならない) \\ (4.3) & その第1文字目を置換したのがp、yを置換したのがrで、pとrを連接したのが(x)_0 \\ \hline (1) & 表現(x)_1は、変項u \; 1文字からなる記号列なので、置換したら(x)_0 \equ t \\ (2) & 表現(x)_1は、変項uではない1文字からなる表現であるが故に置換されず、つまり(x)_0 \equ (x)_1 \\ \end{array}

「(1),(2)で1文字からなる記号列(x)$_1$の置換を考える」という手口を採用しているからこそ、帰納的置換を行う核心部分である(4.2),(4.3)において、「現在走査中の表現の左端1文字 と それ以外」という分離を行っているのだろう。

読書中にピンときた言葉 第2弾

笠原敏彦、「ふしぎなイギリス」、講談社現代新書、40ページ

バッキンガム宮殿前の大通り「ザ・マル」。ここを進むウィリアム王子とキャサリン妃を載せたオープン馬車はまさに、シンデレラに登場する馬車を想起させた。ベアスキンの黒い帽子をかぶった近衛兵が乗る馬を前後に従えた姿も、童話の世界から抜け出したようだ。非日常の演出こそが、王室の魅力の源泉であることは疑いない。人間には生来、深層心理の部分でこうした壮麗さに魅かれるところがある。イギリス王室が現在も壮麗な行事や儀式を維持する理由は、その神秘性で民衆を惹きつけることにより、求心力を保つためである。このマインド・コントロールの手法は、共産主義のソ連や中国が巨大なモニュメントや建物を作り、その威厳によって人々を統治しようとしてきたことにも通じるものではないだろうか。

数学的帰納法の定理、最小値の定理、累積帰納法の定理 の同値性

数学的帰納法の定理
A(n)を自然数nを変数とする論理式とする。この時次が成り立つ: \begin{array}{l} A(0) \Rightarrow \left[ \forall n \left( A(n) \Rightarrow A(n+1) \right) \Rightarrow \forall n A(n) \right] \end{array}
これから直接次の定理が証明される。
最小値の定理
A(n)を自然数nを変数とする論理式とする。この時次が成り立つ: \begin{array}{l} \exists n A(n) \Rightarrow \exists n \left( A(n) \land \forall m \lt n \neg A(m) \right) \end{array}
証明
$B(n) :\equiv \forall m < n \neg A(m)$ と置く。
明らかに$B(0)$なので、数学的帰納法の定理より、$\forall n \left( B(n) \Rightarrow B(n+1) \right) \Rightarrow \forall n B(n)$。
\begin{array}{cl} & \forall n \left( B(n) \Rightarrow B(n+1) \right) \Rightarrow \forall n B(n) \\ \equiv & \neg \forall n B(n) \Rightarrow \neg \forall n \left( B(n) \Rightarrow B(n+1) \right) \\ \equiv & \neg \forall n \forall m \lt n \neg A(m) \Rightarrow \neg \forall n \left( \forall m \lt n \neg A(m) \Rightarrow \forall m \lt n+1 \neg A(m) \right) \\ \equiv & \exists n \exists m \lt n A(m) \Rightarrow \neg \forall n \left( \forall m \lt n \neg A(m) \Rightarrow \neg A(n) \right) \\ \equiv & \exists n A(n) \Rightarrow \exists n \left( \forall m \lt n \neg A(m) \land A(n) \right) \end{array} ここで、$\forall m \lt n \neg A(m) \Rightarrow \forall m \lt n+1 \neg A(m) \equiv \forall m \lt n \neg A(m) \Rightarrow \neg A(n)$と、
$\exists n \exists m \lt n A(m) \equiv \exists n A(n)$を使った。
累積帰納法の定理
A(n)を自然数nを変数とする論理式とする。この時次が成り立つ: \begin{array}{l} \forall n \left( \forall m \lt n A(m) \Rightarrow A(n) \right) \Rightarrow \forall n A(n) \end{array}
$B(n) :\equiv \neg A(n)$ と置く。
最小値の定理により、 \begin{array}{cl} & \exists n B(n) \Rightarrow \exists n \left( B(n) \land \forall m \lt n \neg B(m) \right) \\ \equiv & \neg \exists n \left( B(n) \land \forall m \lt n \neg B(m) \right) \Rightarrow \neg \exists n B(n)\\ \equiv & \forall n \left( \neg B(n) \lor \neg \forall m \lt n \neg B(m) \right) \Rightarrow \forall n \neg B(n) \\ \equiv & \forall n \left( \forall m \lt n A(m) \Rightarrow A(n) \right) \Rightarrow \forall n A(n) \end{array}
更に実は以上の3命題は同値でもある:
$A(n)$を自然数$n$を変数とする論理式とする。 この時、累積帰納法の定理から数学的帰納法の定理が示される。
\begin{array}{lcl} A(0) & \Rightarrow & \left( \forall m \lt 0 A(m) \Rightarrow A(0) \right) \\ \forall n \left( A(n) \Rightarrow A(n+1) \right) & \Rightarrow & \forall n \left( \forall m \lt n+1 A(m) \Rightarrow A(n+1) \right) \end{array} だから、 \begin{array}{cl} & A(0) \land \forall n \left( A(n) \Rightarrow A(n+1) \right) \Rightarrow \left( \forall m \lt 0 A(m) \Rightarrow A(0) \right) \land \forall n \left( \forall m \lt n+1 A(m) \Rightarrow A(n+1) \right) \\ \equiv & A(0) \land \forall n \left( A(n) \Rightarrow A(n+1) \right) \Rightarrow \forall n \left( \forall m \lt n A(m) \Rightarrow A(n) \right) \end{array} これと、累積帰納法の定理 \begin{array}{c} \forall n \left( \forall m \lt n A(m) \Rightarrow A(n) \right) \Rightarrow \forall n A(n) \end{array} より、 \begin{array}{c} A(0) \land \forall n \left( A(n) \Rightarrow A(n+1) \right) \Rightarrow \forall n A(n) \end{array}

論理式の一意性記号について

論理式の一意性記号について以下のように定義する:

\begin{align} \exists!xA(x) \equiv \exists x \left[ A(x) \land \forall y \left( A(y) \Rightarrow x = y \right) \right] \end{align}
この時、$(x,y)$が組として一意に存在する意味で$\exists!x \exists!y A(x,y)$を書くのは間違っている。 なぜなら前者は論理式で表記すると、 $$ \exists x, y \left[ A(x,y) \land \forall z, w \left( A(z,w) \Rightarrow x = z \land y = w \right) \right] $$ であって、後者は、$\exists!$の定義にしたがって展開すると、 \begin{array}{rcl} \exists!x \exists!y A(x,y) & \equiv & \exists x \left[ \exists! y A(x,y) \land \forall x\prime \left( \exists! y A(x\prime,y) \Rightarrow x = x\prime \right) \right] \\ & \equiv & \exists x \Bigl[ \exists y \left[ A(x,y) \land \forall y\prime \left( A(x,y\prime) \Rightarrow y = y\prime \right) \right] \land \\ && \forall x\prime \bigl[ \exists y\prime \left[ A(x\prime,y\prime) \land \forall y\prime\prime \left( A(x\prime,y\prime\prime) \Rightarrow y\prime = y\prime\prime \right) \right] \Rightarrow x = x\prime \bigr] \Bigr] \end{array} である。前者から後者は自明に導かれるが、その逆は成り立たない…と思う。

安井邦夫、「現代論理学」、現代思想社 の分からない所メモなどなど

41ページ

このBは無論、LPの公理にAを公理シェーマとして加えた公理系(これをTとする)において証明可能である ----★

であるが、Aをどういう形で公理シェーマに加えるのかが分からない。

Aというメタ論理式記号そのものを、(A⇒B)⇒Aと同列にそのまま公理に加えるのだろうか?
だとしたら、全ての論理式が証明可能になってしまい、後段の

したがって定理3により~BはLPで証明可能となり、TではBと~Bとが証明可能となる。

とわざわざ述べる必要性が無くなって、国語的に不自然。
だから、そうでは無くもうちょっと論理式Aの中身を表出させた形で公理に加えるのだと思う。個人的に思うに、q1,...,qkをメタ論理式記号A1,...,Akに置き換えたメタ論理式Aを公理に加えるのではないだろうか?
そうすると、★と国語的に整合性がとれると思う。


55ページ

Aを論理式、tを項、xkをtにおける任意の変項とする。
もしAにおいて変項xiのどの自由な現れも限量記号∀xkないしは∃xkの作用域の内にないなら、項tはAにおいてxiに対して自由である(free for xi in A)と言われる。

これは、私は次のように理解しています:

Aを論理式、tを項、xiを変項とする。

項tはAにおいてxiに対して自由である(free for xi in A) :⇔
任意の自然数nに対して、[xiがAにおける第nの自由な現れであるならば、その第nの自由な現れである変項xiは、tにおける任意の変項xkに対して、限量記号∀xkないしは∃xkの作用域の内にない]。

つまり、こういうことだ:
論理式Aという記号列を左から右へと見ていった時、変項xiが現れることが多々あるでしょう。その各々の変項xiは論理式Aにおいて自由な現れであることもあるだろうし、束縛された現れであることもあるでしょう。しかし、その多々現れうる変項xiの内、論理式Aにおいて自由な現れである変項xiだけに、そして、そういう変項xi全てに着目しましょう。ここで今、そういう変項xiを1つ任意に選んで着目します。この変項xiが限量記号∀xkないし∃xkの作用域内になければいい。ただし、変項xkは項tにおける任意の変項ですよ。


114ページ

2)の証明がよく分からないのですが、1)を利用するようですので、私はここまでは理解出来ました:

AはS∪Γの全てのモデルの下で真である
任意の解釈Ωに対して、[ ΩがS∪Γのモデル ⇒ Ω⊨A ]
任意の解釈Ωに対して、[ ΩがSのモデルかつ任意のC∈Γに対してΩ⊨C ⇒ Ω⊨A ]
Sの任意のモデルΩに対して、[ 任意のC∈Γに対してΩ⊨C ⇒ Ω⊨A ]
Sの任意のモデルΩに対して、[ 任意のC∈Γ、Ωの任意の点列σに対してΩ,σ⊨C ⇒ Ωの任意の点列σに対してΩ,σ⊨A ]
ここからどうやって
Sの任意のモデルΩ、Ωの任意の点列σに対して、[ 任意のC∈Γに対してΩ,σ⊨C ⇒ Ω,σ⊨A ]
への同値性に議論をつなげればいいのかが分かりません

英文和訳…ニュアンスの取り方

「Dialogue Vocabulary 1800 New Edition」459ページ

The best chance for a fair trial is still to have 12 honest and impartial people
公正な裁判を行うには、やっぱり12人の善良で偏見の無い人々が必要なの。

 

述語部分の意味を取るのは苦労しませんが、主語の意味を取るのは日本人にはちょっと難しい。

「公正な裁判のための最良の機会って何だろう?」となって詰まる。
座学だけではこういう英語表現からニュアンスを読み取る力はつけにくいなあと感じる。

ピンときた言葉

「不愉快なことには理由がある」橘玲 182ページ

日本語の複雑な尊敬語や謙譲語は、お互いの身分を常に気にしなければならなかった時代の産物です。それが身分の違いの無い現代まで残ってしまったため、命令形は全人格を否定する"上から目線"になってしまいました。日本語は、フラットな人間関係に向いていないのです。


「大世界史 現代を生き抜く最強の教科書」池上彰佐藤優 97ページ

文明国において、テロによって現状を打破する試みを褒め称えることは、通常、考えられません。しかし、韓国は「恨」の文化といわれるように、教科書にも怒りに突き動かされてつくられている。この教科書でいくら大学入試の勉強をしても、国際的には殆ど通用しないでしょう。


言ってはいけない 残酷すぎる真実橘玲、28ページ

マスメディアが親の責任を問うのは、子どもの人権に配慮しているからではない。不吉なことが起こると、人々は無意識のうちに因果関係を探し、その原因を排除しようとする。異常な犯罪がなんの理由もなく行われる、という不安に人は耐えられないから、子ども(未成年者)が免責されていれば親が生贄になるのだ。


言ってはいけない 残酷すぎる真実橘玲、48ページ

私たちは、運動能力や音楽的才能に人種間の違いがあることをごく普通に受け入れている。

それに対して知能の格差は差別に直結し、政治的な問題となって激しい論争を生む。なぜなら私たちが暮らす「知識社会」が、人の様々な能力の中で知的能力(言語運用能力と論理数学的能力)に特権的な価値を与えているからだ。


言ってはいけない 残酷すぎる真実」橘玲、78ページ

ハヌマンラング-ル(オナガザル科)では、メスの子連れ集団を乗っ取ったオスが真っ先にするのは、月齢6~7ヶ月以下の子ザルを全て殺すことだ。授乳中のメスは排卵せず、次の子どもを妊娠出来ないからで、授乳を終えるのを待つより赤ん坊を殺して自分の子を産ませた方が"合理的"なのだ(そのため、生殖を妨げない8ヶ月齡以上の若いサルには何の興味も示さない)。

赤ん坊殺しの背後には、それによって繁殖度を高めようとする進化のプログラムが隠されているのだ。


言ってはいけない 残酷すぎる真実」橘玲、86ページ

女性がレイプされると、利害関係を持つ男性(とりわけ夫)の怒りは、レイプ犯はもちろんの事ながら、被害者である女性にも向けられる。実はレイプを装っているだけで、合意の上でのセックスではないかと疑うのだ。その結果、夫からの資源の提供を打ち切られると、レイプ被害者は生きていけなくなってしまう。そのように考えれば、レイプによって激しく傷ついた姿を見せることで夫の嫉妬や疑いを交わすように進化したとしても不思議ではない。

そしてこの仮説は、被害者に対する暴力の程度と心理的な苦痛に負の相関があることで補強される。暴力的に関係を迫られた証拠が体に残っている方が、レイプされた女性の精神的苦痛が少ないことが分かっているが、これは一方的なレイプだった(合意の上でのセックスではない)事を夫に信じてもらいやすくなるからだろう。


言ってはいけない 残酷すぎる真実」橘玲、87ページ

なぜ嫉妬に駆られた男は妻や恋人を犯すのか?

彼が"進化論的に合理的"であるとすれば、その目的は自分の精子を子宮に注入することだ。そうすれば、ライバルの精子に打ち勝つ可能性が多少はあるのだから…。


言ってはいけない 残酷すぎる真実」橘玲、92ページ

イギリスの経済学者ニック・ポータヴィーは、様々な「幸福」を金銭に換算している。それによると、家族と死別した時の悲しみを埋め合わせる賠償額は、配偶者が5000万円、子どもが2000万円に対し、兄弟はわずか16万円で友人(130万円)よりも少ない。


言ってはいけない 残酷すぎる真実」橘玲、115ページ

イギリスでは、(中略)2003年に「社会防衛のための拘禁刑(IPP)」プログラムが発足した。これは、以前なら終身刑にならない被告を再犯の危険度によって無期懲役にする制度で、2010年までに5828人がIPP終身刑を宣告され、そのうち2500人は本来の犯罪の刑期を勤め終えているものの釈放されたのは94人と4%に過ぎない。

さらにイギリスでは200年に、精神科医たちの意義を無視して「危険で重篤人格障害(DSPD)」に対する法律が制定され、その法の下で危険だと考えられる人物を、たとえ何ら犯罪を犯していなかったとしても、警官が逮捕し、検査と治療のためと称して施設に送ることが出来るようになってもいる。


言ってはいけない 残酷すぎる真実」橘玲、148ページ

私たちは、容姿で給与や昇進を決めるのは企業や経営者による差別だと考える。これは間違いではないが、企業がこうした差別をする理由は、営業職や接客業において、美形の従業員の方が明らかに収益性が高いからだ。市場原理によって、彼らは正当な報酬を得ているだけなのだ。

なぜこのようなことが起きるかというと、それはもちろん、消費者が美形の相手から商品を買ったり、サービスを受けることを好むからだ。

私たちは「美形格差」を批判するが、その差別を生み出しているのも私たちなのだ。


言ってはいけない 残酷すぎる真実」橘玲、204ページ
科学的には意味がないものの、誰もがその存在を疑わない仮想感覚をスピリチュアルセンスと名付けよう。

高貴な血への崇拝と穢れた血の忌避は、人類に普遍的なスピリチュアルセンスだ。しかし20世紀半ば以降は、人種差別やホロコーストの悲劇を経て、「穢れた血が子どもに引き継がれる」という考え方はタブーとされた。だったら高貴な血の神話も一緒に捨て去らなければならないが、そうすると王制(天皇制)の根拠がなくなってしまうので、こちらの方は残すことにした。こうして、「高貴な血は子々孫々まで引き継がれるが、穢れた血は遺伝しない」という何ともご都合主義的なイデオロギーが「政治的に正しい」とされることになったのだ。


言ってはいけない 残酷すぎる真実」橘玲、228ページ

ハリスの集団化社会論は発達心理学に大きな衝撃を与えたが、"主流派"の中には未だに子育ての重要さを説く人たちも多い。

それは全ての親が、(自分の努力は報われるという)「子育て神話」を求めているからでもある。

 

 

サイドエフェクト 全内容(完全ネタバレ)

目の健康の為に、本記事は背景色=黒、文字色=白にしています。
役名 性別 俳優名 補足
マーティン   中盤で殺される
エミリー   女主人公。最後は負け=精神病院収監。
途中でオッパイとマン毛見れる
バンクス ジュード・ロウ 男主人公。最後に勝つ。
シーバード キャサリン・ゼタ・ジョーンズ 女脇役。エミリーとの共犯。最後に逮捕

本編

本編のストーリー進行に沿って、全内容を纏めます。
また、角括弧[]内の文章は物語の核心部について伏線を解説しています。


インサイダー取引で服役していたマーティンが出所する。
夫マーティンが服役していたという事で妻エミリーは精神的に病んでいた。
夫マーティンの出所直後にエミリーとセックスをする。この時のエミリーの顔は冷めた顔だった。 [これが後々への伏線。この時点で夫を殺す計画を始めていたのだろう。]

エミリーがある日帰宅途上、駐車場で壁に車ごと激突する。シートベルトは着用。 目撃者である老人の通報で病院に搬送される。 [後々、エミリーがマーティンを殺した際に、エミリーのおかしさをこの老人に証言させる為に、事故を作った。]
当直で診察に当たった精神科医バンクスは、事故のブレーキ痕が無い事からエミリーに精神の病がある事を疑い、 エミリーはバンクスを主治医にお願いする。
[こんな形でバンクスと出会う事を計画していたのか?不自然だ]

職場でもエミリーの様子のおかしさが見られる。[これは演技の一部。周囲にメンヘラだと印象づける。]

エミリーがバンクスの診察を受ける。以前のメンヘラの時に精神科医シーベルトに受診していたと打ち明ける。

バンクスがシーベルトに面会し、エミリーの過去の病歴を聞き出す。 (シーベルトは過去にエミリーにウェルブトリン・ブロザック・フェクサーを処方したとの事。 バンクスはエミリーにゾロフトを処方したとの事)
この場で、シーベルトがバンクスに最新の薬アブリクサを紹介。 [既にここから、シーベルト&エミリーの共謀作戦が始まっている。]

マーティンが誘われたパーティーにエミリーも参加。 ここでもエミリーがメンヘラ症状発症で周囲が引く。 [マーティンだけで無く、その知り合いにまで、エミリーのメンヘラっぷりを植え付ける作戦]

電車のホームの場面。フラフラと歩いて、警察に助けられる。

バンクスが妻と会話(β遮断薬投与)。 メンヘラ状態のエミリーが割り込んできて、診察へ。
エミリーの要望に応じ、アブリクサが処方される。 同僚のジュリアも服用していて効くらしいから、とのこと。[アブリクサ要求は作戦行動]

バンクスが偉いさんと食事。製薬関係で大金が動いてる話をしている。

エミリーとマーティンが激しいセックス。オープニングのセックスとの対比効果。 マーティンはアブリクサのおかげだとして喜ぶ。
が、同時にエミリーのハイテンションの様子も現れる。 [後々の殺人をアブリクサによるものだと周囲に思わせる伏線]

エミリー・マーティン夫妻がバンクスへ受診。 エミリーの薬を買えるようマーティンが要望するが、エミリーが拒否。 [アブリクサ服用→マーティン殺害が計画だから、アブリクサは譲れない]
結局、アブリクサは変えず、夢遊病を抑える薬も処方される。

エミリー、会社に出社せずクビの危機。[会社にエミリーのおかしさを印象づける]

マーティン、帰宅直後にエミリーに刺し殺される。

警察がエミリーに事情聴取。エミリーは「自分が寝ていたが目が覚めた時にはマーティンは死んでいた」と証言。

バンクスが警察に事情聴取される。警察がエミリーの不可解な行動をバンクスに伝える。 そこから、バンクスは「エミリーは薬の副作用で夢遊病だったのじゃ無いか」との推測を述べる。
「エミリーは犯人か」「エミリーは薬物治療の被害者か」どっちの出方を取るかを警察がバンクスに突きつける。

バンクス、シーバードやマーティンの母親の弁護士に面会して心神喪失無罪の方向の話を聞く。

エミリー、マーティンの母親と面会し手記を手渡す。 マーティンの母親がその手記をテレビで朗読。
これにて「薬の副作用のせいで殺人をしてしまった」と世間に広がってしまう。[これもエミリーの作戦。]
そのテレビで、担当医(バンクス)の責任にも触れられる。

調査委員会がバンクスの元を尋ね、資料押収&尋問を行う。

バンクス夫妻の夫婦関係にひびが入りかけている様子。

エミリーの殺人事件の裁判。駐車場にいた老人や駅にいた警察がエミリーの様子を証言。
弁護士・検察・裁判官で心神喪失の方向で調整。

バンクス・弁護士がエミリーにそれを報告。暫く精神病院に入院させる。
バンクスがエミリーに「本件は状況と薬のせいだ」と慰めるも、 エミリーは「だったらアブリクサを処方したバンクスの責任だ」と反論。
[バンクス潰しの布石を打っている]

前記の偉いさんとの食事のメンバーがバンクスを訪れる。本件でアブリクサの信用が暴落したとかキレられる。
そこで、バンクスが研究医の頃に受け持ったアリソン・フィンからのやっかいな手紙が来た事を打ち明けられる。

バンクス家。バンクスは、アリソン・フィンとは浮気はしてないと妻に弁解。

バンクス家。バンクスがアブリクサを調べた所、 シーバードが「アブリクサ多量摂取に伴う睡眠時異常行動」なる論文を書いていた事が判明。 バンクス「何でこんな薬を俺に勧めたんだ?」。

シーバード家。
シーバード「何度もエミリーの症状が現れていたのに、処方を続けたのはバンクス、お前だ」
バンクス「何故エミリーの睡眠時歩行が1度じゃ無い事を知っている?」
シーバード「ニュースで見た」
[シーバードがエミリーとの計画=詐病をうっかりポロリしそうになったけど、誤魔化した]

バンクス、駐車場にいた老人から、エミリーはシートベルトを着用していた事を聞く。 バンクスに疑念が沸き、独自調査を始める。
エミリーが勤めていた会社にはジュリアなる同僚はいない事が判明。

バンクスがエミリーを訪問し、ジュリアの事を聞く。エミリー「ジュリアはバーで一緒だった人」

バンクス、取引先の担当者(デラトレックス社)に新薬の試験を降りさせられる。[エミリーらの計画通り]
担当者「アブリクサの事件で我が社は儲けた」

バンクス家。エミリーの計画に感づく。
「株価の暴落は予測されていた。マーティン死亡後のサドラー・ベネルクス社の株価が下がっているが、 アジライル社の株価は上がってる」

バンクスがエミリーを訪問。
だまし討ち(アミタールテスト)をする為に塩水を注入。 これを薬と称し「これが効くと落ち着く。判事に見せる。効いたら私の質問に答えろ」と言い聞かす。
騙されたエミリーは気を失う演技をする。
一部始終を撮影していたバンクスはこれを検察に報告するも、評決はもう覆らないとして突っぱねられる。

バンクス、エミリーの施術にベルト着用を指示。
後日、シーバードを訪問。シーバードはこれを知っていた。彼女(エミリー)に呼ばれたからだ。 [バンクスはまだシーバードの本性には気づいていない]

シーバード、バンクスがエミリーと診察室以外で会っていた写真をバンクス宅に送りつける。

バンクスの妻が怒って家出。

シーバードとバンクスが喫茶店でお茶。シーバードがバンクスをハメようとしている本性を現す。
バンクス、全てを悟る。つまり、エミリーとシーバードがぐるになってバンクスをはめた。
バンクス「金は今のうちに使っておけ、取り替えされる前に」[ベネルクス社の株価暴落でシーバードがボロ儲けしている]
シーバード「何の話だ」
バンクス「エミリーに聞け。俺は全部聞いたぞ。お前には会いたくないそうだ」 [エミリーとシーバードの信頼関係に疑念を沸かせるバンクスのはったり]
シーバード「早くエミリーを(精神病院から)出させろ」

バンクス、エミリーの病院に行き、「落ち着きが無いようだから、電話も面会もさせるな」と指示。バンクスの反撃。
エミリーに脅しを掛けつつ、バンクスへの協力とシーバード逮捕に協力させる。
つまりこうだ。
鬱病患者に電流治療の様子をエミリーに見させる。 バンクス、「正常な人間が受けるとどうなるか分からない」と言い添えてビビらす。
バンクス、シーバードの留守電「エミリーの資料が届いたかしら?」をエミリーに聞かせる。 これでエミリーには「シーバードが私を裏切ったかも知れない」との疑念が沸く。
エミリー、バンクスに計画を見抜かれたと感じ「診察担当から外れろ」と要求。
バンクス「お前はシーバードから取り分を多く貰いすぎている」 「ショック療法はシーバードのアイデアだ。記憶を潰した方がバンクス・シーバードには都合が良いからな」 ……”シーバードとバンクスが組んでエミリーをはめようとしている"とエミリーに思い込ませる。
バンクス、シーバードを精神病院に呼び寄せる。
バンクス「エミリーが裁判長に会いたがっている。シーバードの事を話すかも知れないし、 証券取引委員会の調査依頼かも知れない」 ……シーバードに対し"協力しないと潰すぞ"というほのめかし
シーバード「エミリーを退院させるなら協力する」
シーバードとバンクスが握手。
離れた所からこの様子をエミリーが見ていた。エミリーにはバンクスとシーバードがグルになっているように見える。

エミリー、バンクスに投薬を増やされそうになり、観念して白状する。
経緯はこうだ。
夫マーティンが逮捕されて鬱になった。
その後シーバードに診察を受ける。
そこでエミリーがシーバードを口説いて計画に乗らせた。
エミリーは詐病を学んだ。
シーバードにはマーティンから教わった金融取引を伝授した。
シーバード名義で株を買った。
マーティンへの殺意は前からあった。
エミリーに処方箋を出す人であれば利用する精神科医はバンクスでなくてもよかった。
アブリクサは服用したが、それ以外の薬は飲まなかった。

バンクス「シーバードはエミリーが裏切ると思っている」…揺さぶりを掛ける。
エミリー、退院できるようにバンクスに協力を持ちかける。シーバードをはめる為だ。

裁判で、エミリーが一時的に退院できる。

エミリー、シーバード宅を訪問。
シーバードはエミリーが裏切っているとも知らず口を滑らした所を全部録音され、逮捕される。

エミリー、バンクス宅を訪問。
バンクス、エミリーに廃人化させる薬を処方。エミリー激怒。
バンクス「落ち着きが無い。法律に従って君を病院に戻す」
エミリー、確保される。

バンクス、元の家庭を取り戻す。
エミリー、精神病院で廃人になる。

Xamppインストール直後の初期設定!

Xamppインストール直後の初期設定!

2016-08-27: Xampp ver3.2.2でチェック済み

Xamppをインストールしたら直後にやっておくべき(面倒な)初期設定が複数あります。
今回の記事ではその初期設定を一通り纏めます。

なお、以下の設定ではxamppの一部ファイルを書き換えますが、勿論バックアップは常識です!
忘れないように

なお、3.以降の説明は全て「基礎からのMySQL」を参考にしました。
  1. Apacheのポート番号を変えなきゃいけない(ケースがある)。
    (参考: [xampp] Apatchが他プログラムのポートと衝突して起動できない場合の対処法 )
    .../xampp/apache/conf の httpd.conf ファイルを修正する。
    1. 57行目辺りの
      #Listen 12.34.56.78:80
      Listen 80

      #Listen 12.34.56.78:80
      Listen 81
      に変更する(81じゃなくても良い)。
      同様にして、複数個のport番号を登録出来る。 ←ドキュメントルートを複数持たせたい場合に使う (複数サイト開発する時とか)。
    2. 220行目当たりの
      ServerName localhost:80
      ServerName localhost:81
      に変更する。以後は「http://localhost:81/」でアクセスしなくちゃいけなくなる。
    3. 注意
      まだこの段階では、「http://localhost:81」などとしてアクセスできるのは、
      .../xamp/htdocs
      フォルダの中身だけです。
  2. (デフォルト以外の)ドキュメントルートを作る
    (参考: XAMPPで任意のディレクトリをバーチャルホストにする方法 )
    1. このままでは、Xamppをインストールした .../xamp/htdocs フォルダ以下しか公開フォルダに出来ません。 将来を見据えて、このフォルダ以外のフォルダをドキュメントルートにして開発が出来るようにしたい。

      .../xampp/apache/conf/extra の httpd-vhosts.conf を修正する。
      このファイルの末尾に、
      <VirtualHost *:81>
          DocumentRoot "【ここにドキュメントルートにしたいフォルダのパス】"
          ServerName localhost
      </VirtualHost>
      <Directory "【上と同じパス】">
          Options Indexes
          AllowOverride All
          Require all granted
      </Directory>
      
      を追記する。

      複数のポート番号を前ステップで準備していたら、ここで同様に追記していけばいい。

      これにて、【】内のパスをドキュメントルートに出来ました。 http://localhost:81 が、そのルートにアクセスするアドレスになります。

    2. 注意:【】内のパスには日本語・空白・各種記号は含めないで下さい。
      上記【】内のパスにそれらを含めると、例えば、そのパス配下に置いたsample.phpファイルを開いた時に
      Warning: Unknown: failed to open stream: No such file or directory in Unknown on line 0
      Fatal error: Unknown: Failed opening required '【パス】/sample.php' (include_path='...\xampp\php\PEAR') in Unknown on line 0
      という感じのエラーになってしまいます。
    3. 蛇足
  3. MySQLのPathを通す
  4. MySQLの管理者「root」のパスワード設定
    コマンドプロンプトで
    mysqladmin -u root PASSWORD 【ここにパスワード】
  5. MySQLの文字コード
    MySQLの設定ファイル \xampp\mysql\binのmy.iniファイルを修正
    myisam_sort_buffer_size = 8M
    log_error = "mysql_error.log"
    となっている所(41,42行目付近)の後ろに2行追加して、
    myisam_sort_buffer_size = 8M
    log_error = "mysql_error.log"
    character-set-server=utf8
    skip-character-set-client-handshake
    とする。
  6. PHPの設定
    1. タイムゾーン
      \xampp\phpのphp.iniファイルを修正する。
      1896行目辺りの
      date.timezone=Europe/Berlin
      #date.timezone=Europe/Berlin
      date.timezone=Asia/Tokyo
      とする。
    2. 文字コード
      同じくphp.iniファイルを修正する。
      1603行目辺りの
      ;mbstring.language = Japanese
      mbstring.language = Japanese
      とする。 (マルチバイトの言語は日本語であることになる)
  7. MySQLにパスワードを設定したけど、phpMyAdmin(http://localhost:81/phpmyadmin/)に入れるようにする
    \xampp\phpMyAdminのconfig.inc.phpファイルを修正する。
    21行目当たりの
    $cfg['Servers'][$i]['password'] = '';
    $cfg['Servers'][$i]['password'] = '【設定したパスワード】';
    とする

 お笑いやバラエティ番組がどこかの企業や工場などに取材に行く時の縁者と受け入れ社員との温度差のような物に違和感を感じることがある。
 そういう番組はこういう風に進むだろう。
 番組側からはお笑いコンビなどが出向く。番組の盛り上げを考えてそのお笑いコンビはテンション高くして悪ふざけのようなお笑いも混ぜる。
 一方、受け入れ側の企業や工場側の社員はお笑いのテンションなんて知らないし日々まじめに職務に取り組んでいる訳だ。ふざけたことなんてしたらそれこそ怒られるかも知れないから、それこそ皆ピシッとしてる。
 こういう2者が交わった時に視聴者側には違和感を感じるのだ。
 収録中芸人側は番組の笑いや盛り上がりを意識して日々まじめに仕事に取り組んでいる社員に絡んだり、おどけたりする。社員側からしてみたらテレビ局の論理なんて知らないから「何この人達ふざけているんだ」と受け止め得るだろうし、「ちょっとしたふざけた発言でも社の宣伝の為には我慢しなきゃならない」といった心境からか苦笑いをしつつやんわりと受け流す。
 この両者の思いの違いが映像としてハッキリと見えてきた時に、視聴者の一人である私には違和感を感じるし、芸人側に対して「テンション下げろよ」と思ってしまう。